1章 イシュケ王―01
氷の国から嫁いできた女は、雪のような体毛と氷河のような薄い水色の目をしていた。ぞっとするほど美しく、雪が積もるときの音のような静かな声をしていた。
嫁いできた当初はこの女が自分に向かって微笑んだらどれほど美しいだろうと胸が躍ったものだが、こちらがどんなに話しかけても笑いかけても氷の彫像のような美しい顔を崩すことはなかった。
その女は一度も微笑むことのないまま、自分によく似た子供を一人だけ残して死んだ。たった4年の婚姻生活だった。
「あなた、難しい顔をしてどうしたの?」
春の花の花びらのような明るい色が混ざった毛を優雅に揺らしながらプリムラがこちらに歩いてきた。日の光を受けて目の奥で炎のような赤が煌めいている。
プリムラは軽い身のこなしでベッドに飛び乗り、落ち着いた濃いブルーに小さな水色の星のような模様が刺繍された上掛けを踏みながら近づいて来た。その姿は天に住む猫のように美しい。
この二人目の妻は一人目の妻とは何もかもが正反対だった。愛らしく、軽やかで甘い声、花が咲いたように華やかに笑う。
プリムラは下顎に自分の頬を寄せたが、こちらがいつものように応えないのを不思議に思ったのか顔を離して目を覗き込んできた。いたずらっぽい笑顔で熱を出した子供にするように前足の肉球を鼻に押し当て、熱を計る真似をする。
「熱があるわけではないようね?」
そうだ、あれの肉球はいつも冷たくて、乾いてカサカサとしていた。思い出した感触を拭い去りたくて、離れていきそうになるその前足を軽く掴んで引き寄せ、もう一度押し当てさせる。柔らかくて温かくて気持ちがいい。
あの女が死んでからもう十数年経つというのに、ふとした拍子によく思い出す。おそらく同じ色の瞳をした第一王子アイスバーグが思い出させるのだ。そしてその度に冷たい海の底にいるような、ひんやりとした暗い気持ちになる。それを癒してくれるのは王妃のプリムラと第二王子のシブレットだけだ。
「本当にどうしたの?今日のあなたは少し変ね。」
困ったような優しい顔でプリムラは笑った。そんなプリムラの肩に顔を埋め、深く息をする。フリージアに似た香りがする。彼女といると春の日差しを浴びながら日向ぼっこをしているような温かい気持ちになる。全てが充分温まったと感じてから顔を離した。
「今日はシブレットの剣術稽古の日だったな。様子を見てくるよ。」
ベッドから飛び降り、獣人姿になる。愛用のマントがさらりと毛の上を滑る。戦の時に攻撃を受けてできた裂け目がいくつかあるが、何故だかこれを手放す気にはならない。
日当たりのいい渡り廊下に足を踏み出すと、マントに刺繍された白銀色の細かな模様が氷の粒のようにキラキラと輝き、小さなプリズムを辺りに放った。その輝きはいつでも自分を王だという気持ちにさせてくれた。